育ちの根っこにこだわろう(子ども一人ひとりの育ち)

先月のたんぽぽで、支援が必要と思われる子どもがクラスという大きな集団で過ごしている実態をお知らせしました。クラスの子どもたちに、その発達年齢にふさわしい活動を通して、ここまでは成長してほしいと狙いを定めて保育しています。でも、集団が苦手な子どもはすぐに集団から離れ、思いつくこと目に見える物に触れたり、刺激を求めて友達にぶつかったり、玩具や道具を激しく投げ散らかしたり、耳をふさぎながら奇声を発したりします。保育は中断され、その対応に追われる保育者です。子どもたちは遊びが中断したことで不完全燃焼に終わり、保育の狙いは達成されず、子どもにも保育者にも、不満足感だけが残ります。
少人数のなかでは問題なく過ごせるのに、10人を超えるような集団では、どうしてもうまくいかない、視覚情報に左右されるので、話を聞きながらちょっとした物音や人の動きに気持ちが向き、そこにとどまることができないのです。自分で自分の体をコントロールできません。でも、少人数だと、少しのことを認めてもらえたり励まされたりするので、支援の機会が得られないと、状況はどんどん悪くなり、ついには二次障害を引き起こす恐れがあります。3歳(年少クラス)から集団での教育活動になるため、この時が支援を開始するチャンスです。NHKの歴史ドラマ「真田丸」の題目を書いた武田双雲先生は、小さいころ落ち着きがなく、よく大事なものを無くして、いつも自分は悩んでいた。その場の空気が読めないので相手にされず、友達もなかった。大学を卒業して就職したもののいつも叱られてばかり、とうとう続けられなくて仕事を辞めてしまいます。そこで、小さいころから続けている書道で飯が食えないかとふと思いたち、それを生業にすることにしたのですが、長い間誰からも相手にされませんでした。あることをきっかけに、書は心で書かないと相手に伝わらないと気づき、自分の関心のあるものを文字にしたところ、認められるようになったとのことです。自分は発達障害でよかったとも言っています。じっとできないからこそ、珍しい形の雲や季節の情景など、目に付くものを感じたままに自由に文字の形にできるとのことです。書道家という表現者になって、今はこんなに心が自由になったと話しておられました。障がいというと、えっと思ってしまいますが、ADHDの人は覚えることが得意で、脳が他の人より活発に働くため、お医者さんには結構多いのではないかと思います。このように、障がいとはいうものの、知恵遅れとかいうようなことではなく、個性と捉えてほしいのです。何にでも興味を持つのはよいことなのですが、周りの状況を考えずにすぐに行動してしまうことが困りごとなのです。何といっても、困っているのは子ども自身です。先延ばしすると、遅れた時間の3倍の時間がかかると言われます。時間は取り戻すことができません。健診等で支援を進められたら、取り敢えず、1日も早く相談と支援を受けてみてください。1年後には、集団での活動に大きな変化が見られますよ。