育ちの根っこにこだわろう(子ども一人ひとりの育ち)

去る15日の育児講座では人権について学習しましたが、身近なことには思えなかった方もいたかもしれません。しかし、皆さんの耳に届かないだけで、DVも虐待も身近に起きていることを、頭の片隅に入れておいていただきたいのです。
さて、その講座の中で、発達障害のDVDを視聴していただきました。発達障害の人は結構多いということ、それは個性と思われる程度のものが多いこと、足りない所ではなく、人より優れた良いものを持ち合わせていることなど、ご理解いただけたでしょうか。私たちを含め教育に携わる人々が心配しているのは、この優れた良さを潰してしまう恐れがあるからなのです。ちょっと他の人と違うところにばかりに眼が行き、そこを矯正することで「治そう」としてしまうからです。
ミニコンサートでの3歳児の発表はいかがでしたか。いつもは23名で一斉に活動すると、収拾がつかなくなることが多いのです。でも、本番はたくさんの先生の関わりがあって、何とか形になりました。つまり、集団を苦手とする子どもが数人いると集団活動はむつかしいが、個別に関わる環境が整えば、集団保育が可能になるということです。しかし、国の基準では3歳児20名に1人の先生となっていて、集団を苦手とする子どもがいるクラスは想定されていないのです。手のかかる子=困った子ではなく、その子に合った関わりができていないことが、さらにまた次の困ったを生んでしまっているのです。講師の先生も話されていましたが、職員の数が増えないと解決されない問題です。
家庭での姿と集団での子どもの姿は違います。とくに3歳になると、自分の欲求を通したい気持ちが強いので、集団でうまく行動できない子どもが目立ってきます。幼児に限らず、小中学生でも、その場や状況に合わせて、自分で考えて行動することができなくなってきています。保護者の方は、お子さんの家庭での様子はお判りですよね。でも、集団での様子はお判りでないと思います。家庭では、お母さんの言う通りにしていればいい子かもしれません。でも、集団では、○○家のやり方は通用しません。友だちとのトラブルでは、自分で考えることが必要になります。私たち保育者は答は教えません。すぐに答を押し付けて「ごめんね」と言わせて終わりにする保育者は、子どもの将来を考えていないその場限りの保育者です。
AIの時代がもうそこまでやってきています。AIに使われる人間になるか、AIを動かす人間になるか、保護者の方はどちらがいいですか。政府はこれまでの覚える教育から、考え創造する教育に変えようとしていますが、変わるカギを握るのは、家庭教育と幼児教育です。三つ子の魂百までというのは、「家庭の教育というものが、子どもが成人するまで変わることはまずないことからなのです」
発達障害は個性です。おしゃべりが得意、不得意、走るのが速いか、そうでないかなど、持って生まれた個性です。発達障害はその子に合った関わり方(合理的配慮といいます)をすることで、その子が持っている優れた良い面を伸ばしてあげることができるのです。できない所の矯正に取り組むといった不適切な関わりで、引きこもりや不登校、家庭内暴力や非社会的行動などの二次障害を引き起こしてしまう子どもが増えていることも知っていただきたいのです。
気になることがあったら、いつでもご相談ください。一緒に取り組めば、今なら子どもは変わります。