子どもは1ページ1ページじっと絵を見て聞いています。この時子どもは、ただ絵を見ているだけでなく、「絵をじっと読んでいる」のです。同じ絵本を繰り返し読んでもらっているうちに、「ことば」から頭の中にイメージを描き、絵本の中の絵と共に、想像の世界をどんどん広げていきます。「ことば」を耳から聞き「絵を読んでいる」と、子どもは絵本を積極的・主体的に読んでいきます。
テレビやスマホ等は、ただ見ているだけの受け身ですが、本を読むということは、「ことば」をイメージして描き、自ら楽しむという主体的能動的活動です。ですから、言葉が豊かに育っていないと、本を楽しむことができません。言語能力がどれだけ豊かに育っているかが、読書を楽しめるかどうかのカギになります。
言語能力はテレビのような機械では育ちません。「ことば」は人間が人間に語り掛けてこそ育ちます。子どもの「ことば」は、母が子どもに語る「ことば」から育つのです。「子どもが本を読まない」のではなく、読もうとするように育てられていないのだと思いませんか。
本を読むということは、「読もうとする」外に働きかける能動的・意欲的な力が育っていないとできないのです。そしてさらに「ことばの力」が育っていないとできないのです。こう考えると、指宿市読書推進計画の中に、「乳幼児期のうちに、外に働きかける能動的・意欲的な力と、豊かなことばを育まなければ、本を読もうとするようにはならない、まして、ことばの力を育てるには、身近な大人、特に母親との応答的な関わりでしか育てられない」ことは一つも書かれていません。
高学年になるにつれて本を読まなくなることを憂えるよりも、乳幼児期にことばの力を豊かに育てるためにはどうすればよいのか、もう少し深めた議論が必要なのではないか、そのうえで、行政は具体的取組の計画を立ててほしいと思うところです。
指宿市の読書推進計画に書かれていようかいまいが、それにかかわらず、私たちは、昭和42年の読書会設立以来、親子読書活動に細く長く取り組んでいます。人格の基礎がられる乳幼児期の今、親子読書がどんなに大切であるかを再認識し、読み聞かせを通して子どもの成長を確認したり喜び合ったり、保護者の方と一緒に取り組んでいけたらと思います。
小学校に上がっても読み聞かせは子どもの心を育てます。学年が上がるにつれ、自分で読むと言って、黙読ができるようになります、小学生になるから親子p読者は終わりという方がいますが、せっかく今日まで続けてきたのにもったいない。持てる力(想像力)の芽を摘み取ってしまわないか、子供の成長を止めてしまうかもしれないのにと、とても残念です。