指宿市は昨年度「読書推進計画」なるものを作成しました。(先月、お配りしました。)年齢が上がるほどに本に触れない子どもが増えています。「子どもの身近に本を!」と言うのですが、乳幼児期の子どもにとって、読んでくれる大人がいないと、何の効果もありません。今の世の中、子どものためにとお金はかけても、手間と時間はあまりかけていないように思います。「いえいえ、私はちゃんと 子どもと関わっていますよ」とおっしゃる方がいるかもしれません。『早くご飯を食べなさい。』『靴はちゃんと履くの。』『ちゃんと歩きなさい。』こんな指示と命令ばかりになっていませんか。これでは、子どもは何も考えません。お母さんが言うことは毎日同じ、だから聞き流せばいいのです。言うことを聞いても、聞かなくても、なぁーんにも変わらないというのが、子どもの言い分です。
そんな子どもたちに、感動を体験させたいのです。親御さんとの感動の共有体験です。4歳を過ぎると、子どもの想像力は飛躍的に発達します。家庭読書の経験が豊富な子どもとそうでない子どもの力の差がはっきりと表れる年齢です。
絵本を読んであげたら、子どもの言葉や感想を、まずは「そうだねぇ」と言ってあげましょう。親が先に言ってしまうと、自分の思いと違ったときに何も言えなくなってしまいます。違っていてもいいのです。「そうなんだね」と思いつつ聞いていると、「なるほど!」と感心してしまうことが多々あります。大人はきっとそうだという常識みたいなものに縛られてしまいますが、子どもは自由に考えますし、イメージをどんどん広げていきます。その力の基礎を伸ばせるのは幼児期です。一番の信頼を寄せる両親に、「そうだね」と言ってもらうことで、発想の力を伸ばしていきます。
たくさんのお金をかけて、内容の素晴らしい本をたくさん子どもに与えたとしても、読んであげる身近な大人がいなければ、そして、「おもしろかったねぇ」「そうなんだねぇ」など、子どもと共感し受け止めてもらえなければ、感動し想像し、「もっとやりたい」という次への意欲にはつながりません。
ただ本を読むだけかと思われるかもしれませんが、子どもと共感の時間がきちんと持てたケースと、読むだけで済ませてしまう義務感だけのケースとでは、その後の育ちに大きな差が出ます。
和光大学の山崎先生は、自宅に文庫を作り、親子読書を実践されたのですが、そのやり方について、次のように述べています。
親は幼児期の我が子を自分の膝に乗せ、子どもの膝の上に絵本を置く。子どもと同じ方向で親が本を読む。本の中で悲しいところは心から悲しく、嬉しいところはほんとうに嬉しい気持ちで読む。親は言葉を読んでいるだけなのだが、語る気持ちで読む。本の中の言葉に親の心を添えて読むと言っています。親の言葉は、腕の中の我が子に、親の感性と共に伝えられると言っておられます。せっかくなら、したという義務感や実績ではなく、親の願いも伝えたい、伝わった方がいいですよね。